1987年の駅名標~中央本線
本日は、私が1987年(昭和62年)の8月に、青春18きっぷを使って行った旅をご紹介します。
当時、高校生の私がノートに記録した文章を、漢字の使い方等を含めてほぼそのまま書き写しました。ただし改行は増やしました。
あくまで自分の記録用として書いたものなので、多少わかりづらい点もありますが、読み流していただければと思います。
☆ ☆ ☆
8.25
昨日、長野県の松本へ行った。
このあいだ「旅行のための旅行をしたい」と、このノートに書いたが、
それを実現した形となったのが、今回の旅行である。
松本を選んだ理由はとくにないが、近すぎず遠すぎず
見るものがあって、中央線で行ける、ということで選んだ。
もともとは安曇野へ行きたかったのが、時間の都合であまりうまくいかないので、
なら松本に行こうと思ったのが始まりである。
目的としては、北アルプス(後日注:列車名でなく飛騨山脈のこと)を見に行くことだった。
* *
朝、日本海のときと同じぐらいに起きて、
市ヶ谷から高尾行きに乗った。
高尾から、普通松本行きに乗った。
駅弁はまだ売ってないので、パンで一時しのぎをした。
そして発車。しばらく景色を見ていた。
山の中はわりときれいだし、甲府盆地にでると、ぶどう畑が多く目についた。
甲府でちょっと時間があったので駅弁を買いに行った。
しかし、幕の内弁当しか売っていなかった。とは言っても
食べないよりはいいと、それを買った。
それから何事もなく(塩尻で時間があったので写真をとったが)松本についた。
まつもと~ まつもと~ 駅のアナウンス
合成音「まつもと、まつもとでございます・・・」
で、駅をおりると、構内にコンピューターシステムみたいなのがあったので、
松本城とアルプス公園の説明をだしてもらった。
まず松本城へ歩いて行った。入場料が500円(日本民俗資料館共通)というのをみて、
ちょっと躊躇したが、結局入った。
中は庭園みたいな感じで(注:今言った「中」というのは、内堀の中。
ここに入るのに入場料がいる)観光客が多くて、言葉は関西系が多かった。
城の中に入ると、行列ばかりで、中はがらんどうだし、
階段は急だから子供がつかえるし、
まあ経験してみればといえばそれまでだけど、上へ行って、またすぐ降りてきた。
それから日本民俗資料館へ行ったが、くわしく見る気が失せてしまって、
ざあっと見ただけになった。
それだけで松本での持ち時間約4時間のうちの半分以上を使ってしまったので、
これからどうしようかと考えた。
まずアルプス公園へ行こうと思った。
歩いて行ったら時間がかかるのでバスで行こうと思った。
道を歩いてみても、それらしいバス停はないので、ひとまず松本駅へ戻った。
アルプスのほうはなにやら曇っていて、山々の姿はよく見えなかった。
これは前日の天気予報をみて覚悟はしていたが、
電車内からこれをみたときは少しがっかりした。
さて松本駅近くの、松電バスターミナルへ行ってみた。
アルプス公園行のバス停へ行ってみると、次のバスは遅い時間だったので、
あきらめて他のところへいくことにした。
まず、旧制松本高校をみに行くことにした。
北杜夫の「どくとるマンボウ青春期」の舞台だそうだ。
たしかそうだったはずだが、よく覚えていない。(去年の夏読んだ筈だけど)
今、図書館とか記念館になっているらしいが、月曜休館なので休みだった。
(よくある月曜休館にまたひっかかった)
仕方ないので「あがたの森公園」内を歩きまわり
「ワイ談はおおいにやるべし」のらくがきをさがしたり
(どこかでそんなのがあるという話をよんだ)
(でもなかったから消されたのか、または中にあるのか)
碑をみたりした。(「われらの青春ここにありき」)
それから、旧開智学校を見に行った。
これは城の近くなので、先に見に行けばよかったなと思ったが、
今更どうしようもない。校舎だけでも見に行こう。
校舎をひとめ見て(入ってる時間がない)駅へ向かった。
時間がないので急いだ。足が棒になっている。
あ、バスが来た。乗りたい。でも小銭が無い。なんか飲みたい。でも小銭がない。
そうして、やっと駅に着いて急いでホームへ行った。
で、時間はかなりあったが、なんか急がなくちゃいけないような気がして・・・。
駅弁をさがしたが売ってないので、あきらめて塩尻で買うことにした。
松本でやりたいことはもっとあった。
本屋で臼井吉見の本をみたかったし(でもこれは東京でできる)
駅のスタンプもほしかったし(これはどうせ「アルプスと城」の組みあわせだろうけど・・・)
写真もとりたかったし(あの立看板のやつ。でも松本にはそれはなさそうだったからいいか)
アルプスもみたかった。(これは気象だからどうしようもない)
まあ、悔いを残しておけば、あとでまた来たくなるだろうし・・・。
つまり「これで満足した」と思ったら、その土地には一生来なくなるかもしれないし、
悔いなどを残しておけば、また来たくなる・・・疲れた・・・考えるのよそう・・・。
帰り、塩尻で岩魚ずしを買った。それはどうにか座って食べることができた。
しかし富士見で通過待ちのとき、ホームにおりて写真をとったら席がなくなっていた。
それから新宿までずーっと立って(耳センをした)新宿からも立って、
(四ツ谷まで)丸ノ内線でも立った。
岡谷→富士見間は座って弁当をたべてたが、席の近くに地元の女子高生が立ってた。
女子高生A「ハチ公の前って人がいっぱいだから」
女子高生B「ひとりですわって待ってるなんて、できないんだ」
女子高生A「鼻とか、しっぽのほうとか指定しないと」
女子高生B「笑っちゃうよね」
「鼻のほう」ってのは即ち正面じゃないか?
今度はもう一歩踏み込んで安曇野へ行こう!
にほんブログ村
【付録】
ノートには特に記述のない「初鹿野駅」の駅名標の写真もありました。
なお、現在は「甲斐大和駅」と改称されています。
当時、高校生の私がノートに記録した文章を、漢字の使い方等を含めてほぼそのまま書き写しました。ただし改行は増やしました。
あくまで自分の記録用として書いたものなので、多少わかりづらい点もありますが、読み流していただければと思います。
☆ ☆ ☆
8.25
昨日、長野県の松本へ行った。
このあいだ「旅行のための旅行をしたい」と、このノートに書いたが、
それを実現した形となったのが、今回の旅行である。
松本を選んだ理由はとくにないが、近すぎず遠すぎず
見るものがあって、中央線で行ける、ということで選んだ。
もともとは安曇野へ行きたかったのが、時間の都合であまりうまくいかないので、
なら松本に行こうと思ったのが始まりである。
目的としては、北アルプス(後日注:列車名でなく飛騨山脈のこと)を見に行くことだった。
* *
朝、日本海のときと同じぐらいに起きて、
市ヶ谷から高尾行きに乗った。
高尾から、普通松本行きに乗った。
駅弁はまだ売ってないので、パンで一時しのぎをした。
そして発車。しばらく景色を見ていた。
山の中はわりときれいだし、甲府盆地にでると、ぶどう畑が多く目についた。
甲府でちょっと時間があったので駅弁を買いに行った。
しかし、幕の内弁当しか売っていなかった。とは言っても
食べないよりはいいと、それを買った。
それから何事もなく(塩尻で時間があったので写真をとったが)松本についた。
まつもと~ まつもと~ 駅のアナウンス
合成音「まつもと、まつもとでございます・・・」
で、駅をおりると、構内にコンピューターシステムみたいなのがあったので、
松本城とアルプス公園の説明をだしてもらった。
まず松本城へ歩いて行った。入場料が500円(日本民俗資料館共通)というのをみて、
ちょっと躊躇したが、結局入った。
中は庭園みたいな感じで(注:今言った「中」というのは、内堀の中。
ここに入るのに入場料がいる)観光客が多くて、言葉は関西系が多かった。
城の中に入ると、行列ばかりで、中はがらんどうだし、
階段は急だから子供がつかえるし、
まあ経験してみればといえばそれまでだけど、上へ行って、またすぐ降りてきた。
それから日本民俗資料館へ行ったが、くわしく見る気が失せてしまって、
ざあっと見ただけになった。
それだけで松本での持ち時間約4時間のうちの半分以上を使ってしまったので、
これからどうしようかと考えた。
まずアルプス公園へ行こうと思った。
歩いて行ったら時間がかかるのでバスで行こうと思った。
道を歩いてみても、それらしいバス停はないので、ひとまず松本駅へ戻った。
アルプスのほうはなにやら曇っていて、山々の姿はよく見えなかった。
これは前日の天気予報をみて覚悟はしていたが、
電車内からこれをみたときは少しがっかりした。
さて松本駅近くの、松電バスターミナルへ行ってみた。
アルプス公園行のバス停へ行ってみると、次のバスは遅い時間だったので、
あきらめて他のところへいくことにした。
まず、旧制松本高校をみに行くことにした。
北杜夫の「どくとるマンボウ青春期」の舞台だそうだ。
たしかそうだったはずだが、よく覚えていない。(去年の夏読んだ筈だけど)
今、図書館とか記念館になっているらしいが、月曜休館なので休みだった。
(よくある月曜休館にまたひっかかった)
仕方ないので「あがたの森公園」内を歩きまわり
「ワイ談はおおいにやるべし」のらくがきをさがしたり
(どこかでそんなのがあるという話をよんだ)
(でもなかったから消されたのか、または中にあるのか)
碑をみたりした。(「われらの青春ここにありき」)
それから、旧開智学校を見に行った。
これは城の近くなので、先に見に行けばよかったなと思ったが、
今更どうしようもない。校舎だけでも見に行こう。
校舎をひとめ見て(入ってる時間がない)駅へ向かった。
時間がないので急いだ。足が棒になっている。
あ、バスが来た。乗りたい。でも小銭が無い。なんか飲みたい。でも小銭がない。
そうして、やっと駅に着いて急いでホームへ行った。
で、時間はかなりあったが、なんか急がなくちゃいけないような気がして・・・。
駅弁をさがしたが売ってないので、あきらめて塩尻で買うことにした。
松本でやりたいことはもっとあった。
本屋で臼井吉見の本をみたかったし(でもこれは東京でできる)
駅のスタンプもほしかったし(これはどうせ「アルプスと城」の組みあわせだろうけど・・・)
写真もとりたかったし(あの立看板のやつ。でも松本にはそれはなさそうだったからいいか)
アルプスもみたかった。(これは気象だからどうしようもない)
まあ、悔いを残しておけば、あとでまた来たくなるだろうし・・・。
つまり「これで満足した」と思ったら、その土地には一生来なくなるかもしれないし、
悔いなどを残しておけば、また来たくなる・・・疲れた・・・考えるのよそう・・・。
帰り、塩尻で岩魚ずしを買った。それはどうにか座って食べることができた。
しかし富士見で通過待ちのとき、ホームにおりて写真をとったら席がなくなっていた。
それから新宿までずーっと立って(耳センをした)新宿からも立って、
(四ツ谷まで)丸ノ内線でも立った。
岡谷→富士見間は座って弁当をたべてたが、席の近くに地元の女子高生が立ってた。
女子高生A「ハチ公の前って人がいっぱいだから」
女子高生B「ひとりですわって待ってるなんて、できないんだ」
女子高生A「鼻とか、しっぽのほうとか指定しないと」
女子高生B「笑っちゃうよね」
「鼻のほう」ってのは即ち正面じゃないか?
今度はもう一歩踏み込んで安曇野へ行こう!
にほんブログ村
【付録】
ノートには特に記述のない「初鹿野駅」の駅名標の写真もありました。
なお、現在は「甲斐大和駅」と改称されています。
2011-02-09 16:33
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0