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1987年の駅名標~首都圏編

本日は、私が1987年(昭和62年)の8月に、青春18きっぷを使って行った旅をご紹介します。
当時、高校生の私がノートに記録した文章を、漢字の使い方等を含めてほぼそのまま書き写しました。ただし改行は増やしました。
あくまで自分の記録用として書いたものなので、多少わかりづらい点もありますが、読み流していただければと思います。

   ☆  ☆  ☆

8.31

きのう、最後の「青春18きっぷ」を使った。
1.jpg
とくに行きたいところもなかったので、首都圏をまわることにした。
本当は9月6日の日曜日に行くつもりだったのだけれど、
それではあまりにもギリギリすぎるし
(雨なんか降った場合、延期できない)←写真とるから雨だと困る
そのころはたぶん、夏休み課題テストの準備に大わらわになることが予想されるので、
(本当は夏休みのうちにするべきものなんだけど・・・)
思いきって8月中に行くことにしたのだ。
(でもそのために、その前日は9/1提出の宿題を大急ぎでやった。)
今回の目的は、今まで行ってみたいと思いながらまだ行っていないところへ行くこと。
首都圏は狭いようで広い。(と思うけど、やっぱり狭かった。)

   *      *

朝七時すぎに家を出て、四谷三丁目から丸ノ内線に乗り、四ツ谷へ行った。
そこからJRで新宿まで出て、特別快速奥多摩行き「おくたま1号」に乗った。
(武蔵五日市行きの「あきかわ1号」と連結)
車輌はいつも乗る201系なので、別にたいしたことはない。
俺は一番前に立って、外をみてた。
でも、この車両はちょっと冷房がききすぎの感じだ。
各停に乗りかえるため御嶽で降りたとき、思わず「あー、あったかい」と思ってしまった。
冷房で冷えた体をあたためてくれた自然に感謝。立看板もとってあげました。
2.jpg
「かわい・さわい」という両隣の駅が妙にあってて(後日注:韻を踏んでる、という意味)面白かった。
ハイキング客なんかが多かった。
そりゃこういうところへ来るっていえば、そういうのが多いよな。
てなわけで、各停で白丸へ行った。降りる人もまばらで小さい駅だった。
3.jpg
ホームと民家がつながってたり、ホームに店があったり(売店じゃなくて雑貨屋だな)
トイレに蜂がいたり(だからその蜂がいなくなるまでできなかった。
刺されたら困るよな)猫がいたり、でも緑は沢山あった。
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この線は、青梅より先は単線になっていた。
単線であるというそれだけのことで、ローカルの香りがする。
まわりの景色が中央本線などと変わりなくても。

立川に戻って、そこから南武線で川崎に出て、京浜東北線に乗って鶴見へ行った。
今から乗る鶴見線の時刻を調べてから、京浜東北線のホームでそばを食べた。
それからトイレに行こうかと思ったが、なかなか見つからなかった。
ほうぼう走りまわって、やっとみつけたが、
汗だくだくで、小水もみんな汗になったという感じ。
(なにしろ鶴見線の駅にはトイレがないと西村京太郎の小説にあったもんで)

なんとか発車にはまにあった。
で、その鶴見線は、なんと旧型国電だった。
チョコレート色の、鋲がみえる外装。
中は交通博物館で見たような感じのもので、ドアの部分には鉄棒があった。
でもモーターは新しいみたい。

そういう、博物館にあるような電車に乗って、海芝浦へ向った。
どの駅も小さな駅で、といってローカルでもないという感じで、
やはり工業地帯なんだなあ。
浅野をすぎると、運河がみえてきた。東芝の工場の敷地にもう入ったのだろう。
線路がところどころから工場のほうへのびていた。

海芝浦へついた。本当に何も無かった。
出口=東芝入口だし、反対側は京浜運河(なんかキタなかった)で、
その向こうにも工場がみえた。
で、ちょっと困ったことに、海芝浦には立っている標示板がなかった。
紺の地に白字で書いてあるのが、カベに一枚貼ってあるだけだった。
一応写真にとっておいたけど。
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それから鶴見へ戻り、それからどうしようかと迷った。
まず川崎に行って、駅の立看板(かざりのようなもの)を写真にとった。
残ったフイルムはあと一枚。
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まず根岸線の石川町へ行った。
しかし、そこには立看板がなかったので、川崎に戻ってから南武線矢向へ行った。
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川崎へ戻り、京浜東北線に乗り、新橋で降りた。
(山手線のランチなんとか、をみた。山手線に乗りながらカレーを食べるやつ。)
地下駅に行って、総武線に乗ろうとしたが、次の電車までわりと時間があるので、
東京駅へ山手線で行ってから総武線に乗った。(結局同じ電車だったみたいだけど)

市川でれもん色にのりかえ、西船橋で京葉線に乗った。
お客は冷房車に集中したので、
俺が乗った車輌とその附近の車輌には誰も乗っていなかった。
(一番前の車輌に俺はのっていた)
窓をあけて、外の空気をかぐと、潮のにおいが、かすかにした。
高層団地なんか、けっこう多かった。
歌をうたったりした。
ところで京葉線は、かなり将来のことを重要視しているようで、
駅もだいたいの駅は、4番線くらいまであった。
千葉みなとも、新しい駅だった。まわりはやはり埋立地らしい感じがした。

帰り、矢向でひろった「まんがタイムオリジナル」をみながら、れもん色にのった。
うまいという評判の千駄ヶ谷駅の立喰いそばを食べて帰った。

   ☆  ☆  ☆

1987年の駅名標シリーズは、この首都圏編をもって終了です。
当時は駅名標を「立看板」と呼び、なおかつ興味の対象はあくまでも地面から立っているタイプであり、つり下げや壁に貼られたタイプには関心がなかったようです。
しかし特に今回の記事を作って思ったのは、やはり「車両も撮れよ当時の俺!」ということです。
特に鶴見線の「旧型国電」を撮ってなかったのは残念・・・まぁ今さら仕方のないことですけれどね(笑)
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【付録】
今回の青春18きっぷ旅とは別の日に撮影した「尻手駅」の駅名標。
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